約400億円の申告漏れが取り消しに!
いわゆる“脱税事件”や“申告漏れ事案”の報道でしばしば目にするのが「見解の相違」という言葉である。大手上場企業などが国税当局から多額の申告漏れ等を指摘された際に、企業側が出すコメントとしてお馴染みのフレーズだ。
「適正に申告したが、国税との間で解釈に違いがあったため、修正申告をしました」というような、言い訳とも、悔しさを隠しきれない強がりともとれるニュアンスが、この「見解の相違」という言葉からは滲み出ている。
ところが先頃、画期的ともいえるケースが報じられた。
新聞報道によれば、不動産開発大手の森トラスト(東京都港区)は、東京国税局に指摘された約400億円の申告漏れについて、東京国税不服審判所に不服を申し立てていた。その結果、同審判所は、平成27年6月頃に、会社側の主張を認めて更正処分を取り消す裁決を下したことがわかった。
これは、森トラストが再開発を計画していたホテル「旧虎ノ門パストラル」跡地の評価をめぐり、会社側が棚卸資産として取得価格と評価額の差額を損失として計上したのに対し、東京国税局は固定資産であるとして、2012 年3月期までの3年間で約 400 億円(納税金額 150 億円)の申告漏れを指摘していたものだ。
国税と企業との「見解の相違」をめぐり、珍しく企業側に軍配が上がった格好だ。
「そもそも税務調査に見解の相違はつきものなのです」
そう話すのは、租税訴訟にくわしい鳥飼重和弁護士である。
「税法は、法律のなかでも難易度の高い法律といっていいでしょう。税法を解釈するために多くの通達が出され、それによって現場の税務が行われる。税務関係で一方の当事者というべき課税庁側が通達によって法律を〈解釈〉するのですから、他方の当事者である納税者側の解釈と異なることはありえることで、必然的にそこには“見解の相違”が起こる余地が生じます」
しかし現実には、納税者側が税務署に対して「見解の相違」を主張して争うケースはあまり多くない。もちろん金額にもよるだろうが、経営者側にしても税理士にしても、たとえば「数百万円ですむなら、修正申告をして早く税務調査を終わらせたい」というのが本音ではなかろうか。
納税者側の「見解の相違」が認められる確率は?
「税務調査の基本は“和解”です」と税理士の平山憲雄氏は言う。
それには理由がある。仮に「見解の相違」を主張し、面倒な手続きを踏んで国税不服審判所に審査請求をしても、納税者側の主張が認められる割合は1割程度に過ぎないのだ。
平成26年度に処理された審査請求 2,980 件のうち、何らかの形で納税者の主張が通ったのは 239 件( 8.0% )。それに対して「棄却」と裁決されたものは 2,388 件と約8割を占めている(国税不服審判所の資料より)。
「それでも最近は、少しずつですが、税務調査に臨む税理士や納税者の意識は変わってきていると思います」(平山税理士)
そのきっかけのひとつが、平成 23 年の国税通則法の改正だったという。50 年ぶりの大改正といわれた当初改正案は、その成立に至るまで二転三転の経緯を辿った。平山税理士が説明する。
「ご存知のとおり、平成 23 年の改正により税務調査手続きが厳格化されました。そもそもこの改正は、民主党政権時に閣議決定された平成 23 年度税制改正案において、納税者権利憲章の創設、税務調査手続きの明確化、更正の請求期間の延長、処分の理由附記等を改正する国税通則法の改正を含んだ所得税法等の改正案が発端になっています。
なかでも主眼となっていたのが納税者権利憲章の制定でした。納税者権利憲章とは、納税義務者の権利を保障する基本的な規程のことを指します」
結局、この法案は自民党の反対などから廃案となってしまう。その後、平成 23 年3月に起きた東日本大震災を経て、同年6月の3党合意により、納税者権利憲章を外して同年 11 月に所得税法等の改正として成立している。
「納税者権利憲章こそ実現しませんでしたが、税務調査で曖昧だった部分の手続きが明文化された意味は大きいと思います。これにより、税務調査の運用も厳格になってきています」(平山税理士)
言い換えれば、以前は納税する側の企業にとって税務署の作った土俵の上で税務調査が一方的に進んでいくような雰囲気がなきにしもあらず、であった。それが手続きを厳格にしたことで、調査の公平性がより増した、というのが平山税理士の率直な感想だ。
「申告書は法律文書である」という視点で税務調査を考える
加えてもう一つ、これからの税務調査のあり方に変化を予感させる動きがある。それが、新しく産まれた「税務調査士」の存在だ。鳥飼総合法律事務所が中心になって始めた、税務調査についての新しい民間の資格認定制度である。
前出の鳥飼弁護士が言う。
「税法に則り、証拠書類に基づいて作成するわけですから、申告書は立派な〈法律文書〉です。税法の専門家である税理士は、もっと法律家としての自覚を持つべきだろうと思います。
一方、弁護士は税金の実務をよく知らないことが多い。しかし森トラストの例でもわかるように、税法の解釈によって 150 億円も納める税金が違ってくることがあります。そうなると、これは〈経営・財務〉にも大きく関連してくるので、経営者にとって重大な関心事になる。
そうだとすれば、税務を深く知る、つまり税法と納税実務に精通することは、弁護士にとっても大きな武器になるはずです」
「税務調査士」は、税理士や弁護士、公認会計士という国家資格をもっている士業を対象に「税務調査のプロ」の育成を目指すもので、平成25年10月の第1期開講以降、すでに380人が認定を受けている。
「法律に強い税理士と税務に強い弁護士がタッグを組めば、納税者を税金リスクから守るために、最強のチームで税務調査に臨めます」と、鳥飼弁護士は語る。
一方、税理士である平山氏は、こうした動きをどう捉えているのか。
「税理士は、税務のプロとして税務調査に臨みます。しかし、たとえば国税不服審判所に審査請求し、そこで却下されてもあきらめずにさらに地裁に訴えるとなると、もはや税務ではなく、民法や会社法、民事訴訟法の世界になる。
つまり税務署との折衝のときには、事実関係を解明するのに多くの時間をかけているが、訴訟となると、条文の課税要件への当てはめが主となってくる。主戦場が事実関係より法律関係へとなってくるのです。
税務に強い弁護士が増えることは、税理士にとっても頼もしいことだと思います。それと同時に、税理士も税法だけでなく、憲法や民法、会社法、民事訴訟法などを広く勉強することがますます必要になると感じます」
言うまでもなく、税金は国家繁栄の根幹をなす土台である。脱税とか節税とかいう次元ではなく、企業はどのような法律を根拠に税金を適正に納めるのか。納税義務者である企業側にとっても意識を変えていくべき時代が近づいているのかも知れない。