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今週の話材「宝くじ」

大名も江戸っ子も“一攫千金の夢”に躍った「富くじ」バブル

[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

ロトにサマージャンボ…。なんだか1年中、そんな宣伝ばかり目にしているような気がする。ギャンブルでいちばんオイシイ思いをするのは胴元だ。かといって素人が安易に手を出すと、大やけどをするのが世の常で…。

大名も江戸っ子も“一攫千金の夢”に躍った「富くじ」バブル

江戸っ子も夢見た「くじで一攫千金」

 江戸の俗諺(ぞくげん)にこんなのがある。

「2朱持ったら飛んできな。湯島の富は600両」

 湯島天神の富くじで1等に当たると600両というのだから、米価で換算すると4,800万円也である。そのくじの値段が2朱、1万円と高いが、一攫千金となればなんとかして手に入れたい。で、富くじに金をつぎ込んだ果てに、

「富札の引き裂いてある首縊(くく)り」

 という川柳もある。江戸時代の後期、18世紀の後半は日本中が富くじ熱に浮かされたのである。

 富くじはもともと8代将軍吉宗の時代に、京都仁和寺の修復資金を捻出するために官許されたものだが、たちまち各地の寺社がこれにならった。それもそのはずで、富くじ興行は寺社にとって濡れ手で粟の大儲けだった。

 毎月興行をした仁和寺の場合、1回の興行で富札の売上が1,062両2分(約8,500万円)。そこから賞金や雑費を引くと106両の純益が上がった。850万円である。これを1年で12回、年間1,300両から2,000両、1億円から1億6,000万円の金が仁和寺に転がり込んできたことになる。

 これを他の寺社も見逃すわけはなく、江戸では湯島天神、谷中の感応寺、目黒不動のものが「江戸の三富」と呼ばれて有名だったが、他に本所の回向院など合わせて16か所の寺社が富くじ興行をし、総数なんと年間120回。3日に1度は江戸のどこかで富くじが発売された。

 江戸後期の寺社は富くじバブル経済に狂奔したのである。

“当たりくじ詐欺”に“影富”…

 富くじの目的だった寺社復興など名目だけになり、安芸広島藩や津軽藩などは、富くじの収益を藩の収入にするまでになった。いわば地方自治体までバブル経済に奔走したのである。
 そうなると当然のこと不正も頻発する。

 天保3年(1832)、下谷法善寺の富くじ興行で摘発された不正の手口はこうだ。

 富くじは抽選者が錐のようなもので札をついて、当たり札を決める。その札の番号を読み手が大声で読み上げて見物人に見せ、札は三方に載せられて寺社奉行から派遣された監視の役人に見せて確認させる。
 これを利用して、突いた札を受け取る者と札の読み手、札の買い手がグルになってのイカサマをした。

 突いた札を受け取ると、前もって仲間が買った札の番号を読み上げる。富札は小さいもので、見物人には数字は読めない。そして当たり札を三方に載せて監視役人に持っていくときに、前もって買っておいた札とすり替えたのだ。

 この不正は見事に成功したのだが、分け前をめぐって仲間割れをして発覚。寺社奉行の裁きで主犯は遠島、共犯は江戸十里四方追放の申渡しとなった。

 寛政元年(1789)、ときの老中松平定信に中井積善が上申した『草茅危信』に次のような一節がある。

 近頃、諸国の在在(村村)を回って富くじ同様のことをなし、貧民を剥ぎ倒す者が各地にいるので、これを禁止してほしい

 私設の富くじさえ出回って、日本中が一攫千金のバブル経済に躍ったのである。なかでも江戸では「影富」というものが流行した。

 これは官許の富くじの当選番号を当てる一種のノミ行為である。なにしろ官許の富札は1枚2朱もするので、長屋の八つぁん熊さんでは手が出ない。そこで、闇の発行元がうんと安いと見札を発行して、官許の富くじと同じ当たり番号を当たりとした。

 影富のほうはお銚子1本程度の金で買えたので大流行したが、非合法だから発覚すると、お縄頂戴となる。

影富に手を出して河内山宗俊にゆすられた水戸藩

 文化13年(1816)、江戸は京橋水谷町の半兵衛という者が湯島天神の影富を発行して逮捕された。儲けは約1両というから8万円程度だが、それでも北町奉行の裁きで遠島を申し渡された。

 この影富の損失補填を要求してお縄を頂戴した人物がいる。それが芝居で知られる河内山宗俊である。

 河内山宗俊は実在の人物で、実名は宗春。代々江戸城の奥坊主を務めた御家人の家柄だったが、本人は非役で無頼の徒に交わり悪事を働いて暮らした。

 ときは富くじバブルに躍る文政年間。御三家のひとつ水戸藩は財政逼迫して、藩中の融通のために江戸藩邸内で、こっそり富くじを発行した。無許可の影富である。発案者は中元から成り上がった大久保今助といわれる。

 もちろん富札は江戸市中に流れたが、御三家の影富なので、寺社奉行でもおいそれと手が出せない。それが河内山宗春の耳に入った。宗春はさっそく当たらなかった富札を持って水戸藩邸に乗り込むと、重役に面会してこういった。

「当家の富札をいくら買っても当たらず、今日の暮らしに差し支えるまでになった。何とか憐愍を乞う」

 富くじの弁償もおかしな理屈だが、変に騒がれると非合法の影富が幕府にバレる。で、水戸家は500両を宗春の袖にすべり込ませた。4,000万円の損失補填である。

 が、この噂はいつしか評判になって、幕府も宗春を放置できずに別件で逮捕し、伝馬町の牢屋敷にぶち込んだ。とはいえ下手に調べると御三家の水戸藩に傷がつく。始末に窮した幕府は牢内の宗春を毒殺して、水戸家の影富を闇から闇へと葬った。

 ときに文政6年(1823)、河内山宗春、41歳。この事実を脚色したのが芝居の『天衣粉上野初花(くもいにまごううえののはつはな)』で、河内山宗俊の松江藩邸でのゆすりの場面である。

▼「今週の話材」
著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター) 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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