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今週の話材「大仏」

じつは江戸にもあった!? 日本一巨大な「江戸の大仏」の正体

[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

大仏といえば奈良と鎌倉。それに消失した京都の大仏を加えた3つが、歴史に残る日本の大仏である。ところが、じつは江戸・品川にも大仏があったという。しかも全長約40メートルの巨大な大仏が…。

じつは江戸にもあった!? 日本一巨大な「江戸の大仏」の正体

本当は4つだった? 日本の大仏

 「江戸の大仏」というのがあった。それも巨大かつ金ビカで、一時は大評判となって江戸中を騒がせた。

 その名残も残っている。江戸の入り口、品川の曹洞宗海晏寺(かいあんじ)である。

 いうまでもなく、日本には3つの大仏があった。それぞれ奈良と京都と鎌倉で、このうち現存するのは奈良と鎌倉。

 京都の大仏は豊臣秀吉が建立を計画したもので、蓮華座からほぼ20メートルの高さになったというから日本最大だったが、惜しいことに寛政10年(1798)に焼けてしまった。

 関西には2つも大仏があるのに、関東には鎌倉に1つあるだけで江戸にはない。このことは自慢好きの江戸っ子のプライドをいたく傷つけたに違いない。
 おまけに長崎のオランダ通詞にいわせれば、

「海外にも大仏があって、タイ国のものは海上10里からも涅槃の姿が見える巨像だ」

 とくると、負けん気の強い江戸っ子は悔しがって、

「奈良の大仏が田舎暮らしに飽きて、賑やかな江戸にやってくる」

 といった話を本にして溜飲を下げて、自我の補償に励んだ。

 そんな心境の江戸っ子の魂を慰めるためか、海晏寺の物好きな僧たちが関西の大仏に一矢報いるべく、16丈(約40メートル)の巨大な大仏を作り始めた。寛政5年(1793)のことである。

江戸っ子流・お手軽かつ安易な大仏製造法

 高さ40メートルとはにわかに信じがたいが、そのくらいデカかったのは間違いない。なにしろ東海道の通行の障害になって奉行所が問題にしたほどだから、奈良や京都、鎌倉の田舎大仏とはスケールが違う。

 その巨大な大仏が驚くべきことに、あっという間にできてしまった。さすがに江戸だから、腰を抜かすほどの早さだ。それもそのはず、籠細工で作った張りぼての大仏さまである。

 境内の銀杏の大樹を心棒にして、その周りに籠細工で大仏を作り、ハリボテに金箔をペタペタ貼ったとみえる。
 仮にも御仏であられる大仏さまをお手軽かつ安易に作ってのけたとは、発案した禅僧も許可した住職も嬉しい心がけの持ち主である。

 御開帳は寛政5年2月20日、巨大な大仏を覆っていた幕がスルスルと落ちると、40メートルもある大仏が、江戸城に向って睥睨しているがごとし。それも大胆なことに豊臣秀吉発願の京都方広寺の大仏を模している。
 『太閤記』ですら発禁の時代なので、僧も住職もますます愛すべき不敵な根性の持ち主である。その大胆不敵さに太田蜀山人などは吹き出したに違いない。

 この日は押すな押すなの人出で、海晏寺境内の丘は人の頭で真っ黒に見えたという。ほとんど〝見せ物〟である。そこがまた、禅僧のくせに涙が出るほど嬉しい。

巨大すぎて〝所払い〟になった大仏さま

 この張りぼての大仏は、さっそく「合羽大仏」の愛称をいただいた。葛飾北斎の残した絵によると、どういうわけか大仏さまの頭頂に螺髪がなく、月代を剃ったような頭で、鬢と額にねじり鉢巻のような毛を巻いていた。

 頭頂に螺髪がないのはミカン籠を使ったせいで、指は菅笠というが、秀吉の大仏の顔そのものである。ときの老中松平定信の歯ぎしりした渋面が目に浮かぶ。
 とにかくウケたらしく、連日黒山の人だかりとなった。

 晴れた日には上総や下総からも、そのピカピカのミカン籠の光る頭が見えるとかで、はるばる遠国からも見物に来る。物好きな江戸っ子にいたっては、わざわざ江戸湾をぐるりと回って対岸の洲崎、深川辺りまで行き、海越しに合羽大仏を望遠鏡で眺めて嬉しがったりした。

 ところが60日後、道中奉行所から、あまりに巨大で京坂への飛脚便の障害になるかどで、

「今後大作りの儀一切いたすまじき」

 と大仏に「所払い」が命じられた。曹洞宗海晏寺は東海道「品川宿」の南端で、その境内の丘は紅葉で有名。いまは京浜急行の「青物横丁」駅が境内を分断しているが、それほど広い境内でも飛脚が往来できぬほど混雑したというのだから、人気のほどが偲ばれる。

 ちなみに仏教徒が「大仏」を作る理由は、お釈迦様は大悟してから、その身の丈が16尺(4.85メートル)に肥大した。その大きな身体から無障無碍(むしょうむげ)に慈愛の視線を下すからである。

 いくら張りぼてだって、秀吉発願の大仏を模したからって、大仏さまは大仏さま。それを「所払い」にした1か月後、老中松平定信は罷免されて、評判の悪かった寛政の改革は頓挫した。

 もしや大仏さまの祟りではあるまいか…?

▼「今週の話材」
著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター) 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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