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今週の話材「大晦日」

いつから日本人は大晦日に年越しそばを食べ、除夜の鐘を打つようになったのか?

[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

年中無休で営業する飲食店や24時間営業のコンビニ等の登場で、大晦日だからといって特別なことをしなくても、まったく不便を感じない。それでも大晦日になると、年越しそばをすすり、除夜の鐘を聞いて厳かな気持ちになるのはなぜだろう?

いつから日本人は大晦日に年越しそばを食べ、除夜の鐘を打つようになったのか?

除夜の鐘の「除夜」とはどんな意味?

 大正時代の作家・芥川龍之介の遺作の句に、

「除夜の鐘、鼻水だけが暮れ残り」

 というのがある。
 芥川の時代には、年末最後の大晦日は家族揃って家にこもり、コタツにでも入りながら除夜の鐘を聞くというのが一般的な年越しの風景だったろう。

 しかるに近年はコタツは少なく、暖房のきいた部屋のソファでテレビを見ながら、あるいは海外で年を越すという人も多い。高層ホテルのレストランなどから、テーマパークで打ち上げる花火を見ながら新年を迎える人もいる。

 ものの本によると、大晦日の夜は、

 新年と旧年の区切りの日で、新年の神様である歳神様が来るのを、寝ないで待つ日とされていた

 とある。ところが、これは日本特有のしきたりではなく、中国では「守歳」、韓国でも「守歳(すせ)」と称して、大晦日は神様を待って寝ないで起きている。

 除夜とは「1年を除く夜」という意味で、韓国でも「除夜」もしくは「除夕(チェソク)」という。中国の『呂氏春秋』には「この夜に疫癘(えきれい)を退散せしめる」ので除夜の名があると説明されている。

 いまも大晦日の夜は、テレビで歌番組などを見て家に籠もって年を越したり、あるいは年頃の若者などは酒場に繰り出し、一晩中酒盛りをして過ごすのが恒例という人たちもいる。
 これなど、あんがい伝統的なしきたりに則った行為なのかもしれない。

除夜の鐘は、なぜ百八回打ち鳴らす?

 午前零時になる前から寺院は除夜の鐘を鳴らすが、これも中国伝来のもの。もともと中国の寺院では、毎月の月末の夜に百八の除夜の鐘を打った。それが宋の時代に大晦日だけになった。
 その宋が元に滅ぼされるとき、禅僧が来日した。鎌倉時代も末のことで、この禅僧たちの手によって、日本の禅宗寺院で除夜の鐘が大晦日に殷々と鳴り響くようになったと思える。

 除夜の鐘を百八打つ理由は、一般に2つの説がある。

 ひとつは、「中国では暦の12か月と24節と72候(1候は5日)を合わせて百八打った」と1年分の暦を打つのだという説。

 もうひとつは、江戸時代に除夜の鐘が一般化されてからの説で、徳川家康が帰依した浄土宗の説明が人口に膾炙された。
 つまり、「人間の過去・現在・未来にわたってもつ百八の煩悩を鐘で打ち払う」というものである。

 江戸時代に生まれた説は、宋代中国の除夜の鐘の数を、仏教的に解釈したような趣がある。

 百八という数字は、百と八だが、もっと別の意味があるのではないかとも思える。
 百は「もも」とも読み、百世は代々の意味で、数えきれない長さの意味。
 八はアジア大陸に共通する聖数で、長命で後世に残ることをした人を、しばしば「百八歳」と呼ぶ。源頼朝の旗揚げに応じて、自らは籠城して自刃した「三浦大介百八歳」、徳川家康の宗教顧問だった「天海僧正百八歳」などだ。

 除夜の鐘は、大晦日から元旦にかけて、年の移行期に侵入しやすい魔を払うために長々と打ち鳴らすので、「長く、ありがたい」の意味で「百八」だったのかも知れない。それゆえ午前零時になる前から打ち始めるのではないだろうか。

 いずれにしても年の移行期には、大きな音を立てて、魔を払う行事は洋の東西を問わない。現在の中国では、爆竹を鳴らし、西洋ではクラッカーを破裂されつさせて、港では船が一斉に汽笛を鳴らす。

 除夜の鐘も行く年来る年の、そのどちらでもない瞬間に魔が入りこまないようにする悪霊払いの音ではないだろうか。
 テーマパークの除夜の打上げ花火や大音響のロックコンサートは、現代版の除夜の鐘なのかも。

年越しソバのルーツは「年越し餃子」!?

 最近は「年賀状」はメールですますという人がいたり、正月三が日も平常営業する店もあったりして、年越しの風景もずいぶんと“平成風”になってきた。

 それでも年越しソバのしきたりだけは、頑固に守られているのはなぜだろう。
 大晦日ともなると、老舗そば屋の周りには、年越しそばを求める人たちが朝からぐるりと長い列を作って並んでいる。

 各種解説の本では、

 この風習は江戸時代の町人の間から始まったもので、ソバのように細く長くと長寿の願いがこめられていた

 とあるが、もちろんこれは俗説。もうひとつ、

 金細工職人がソバ粉を練った団子で、金粉を集めるので、「ソバは金を集める」と縁起を担いで年越しソバになった

 とも説明されているが、こちらも信じるには苦しい。
 金細工職人が金粉をソバ粉で集めたのは、仕事仕舞いの行事だから。ソバ粉の団子でなくてもいいが、儀式だからハレの食べ物のソバ粉を使ったと解するべきではないだろうか。

 もともと武家にとってソバはハレの食べ物で、出陣前などに食べた。「忠臣蔵」の四十七士が討ち入り前に「そば屋」の2階に集まったと講談で語られるのも、その頃に江戸にそば屋があったかすら疑わしいのだが、吉良邸討ち入りがハレの合戦だったことを示唆するため、あえてソバを登場させたものである。

 これは町人や農民にも伝わり、ソバは祝日のハレの食べ物で、もしくは月末になるとソバを食べて、月を越すという慣習もあった。引っ越しソバも、それが一応、特別な食べ物なので、引っ越しの披露宴をできない借家人が配ったのだ。

 それが、現代では年末に年を越すためにだけ食べるのは、いかなる理由からか?

 この習慣の原型も、じつは中国にある。中国では、大晦日に餃子を食べる。たっぷり肉が入っているので、仏教思想が浸透した肉食禁止の日本では、餃子の代わりにソバ団子を食べたのが、それがいつしかソバ切りに変わった。

 ちなみにお隣りの韓国では、年越しにめん類を食べる。稲作文化の地域では、米以外の小麦粉やそば粉を使った食べ物は、特別な日の食事なのだ。

▼「今週の話材」
著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター) 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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