意外に知られていない「定年」の語源
もともと「定年」は「停年」と書いた。
江戸幕府の役付けの旗本など「停年」はなく、90歳や80歳で役付きのお城通いが何人もいた。
そうかと思えば、無役の旗本などは40歳で「隠居願い」を出して、隠居したものである。
大名の場合は、幕府に睨まれると、「茶壺」を老中から贈られて、隠居して茶でも嗜めと暗に「停年」を強制された。もちろん無視すれば、御家断絶が待っている。不行跡の証拠を幕府は握って隠居を勧めたからだ。
不行跡さえなければ、老人だからといって出仕を止めることはなかった。事実上、江戸時代は能力主義で、停年はなかったといえる。
奈良時代の律令(法律)では、
およそ官人、70歳をもって致仕え(退職)を許す
とあって、現在の定年制よりはるかに緩やかだった。知識と経験豊富な老人の能力が重視されていたのだろう。
もともと「停年」なる言葉を最初に使ったのは明治政府だ。その意味は「現役停限年齢」の略で、陸海軍の軍人に用いられた。それが明治の末には「定年」の文字に変わるが、意味は同じで、
少将が中将に進むには実役停年3年
と、進級するのに必要な「停まる」年齢のことだった。
ただし、すでに退職する年齢も決められていた。たとえば陸軍軍人は大将65歳、中将62歳、少将58歳、大佐55歳で「退隠」と、事実上の「定年」制度であった。
同時に「恩給制度」が作られたことも見逃せない。軍人が退隠した後は、終身恩給が支払われることになったのだ。
美談か?痩せ我慢か? 明治の大学人が作った不文律
明治23年(1890)には、満15年以上在官した者には、終身恩給が支払われた。海軍工廠の職工の場合は満55歳、特別に能力のある者は60歳まで勤務できた。
文官でも大審院長、検事総長は65歳、その他の判事・検事は63歳に達した時は、原則として退職となり、その後は恩給暮らしの生活が保障された。
そのなかで特異な存在だったのが、大学教授の定年である。これは法律で定めたものではなく、教授会などで決めた。
教授会による自発的な定年制度を作ったのだが、そこは明治の大学人。美しい不文律を作った。
文豪で知られる夏目漱石の時代には、官立大学の教授は定年の半年から1年前に辞職することにしていた。そうすると恩給の対象にならないからである。
漱石の同級生の狩野亨吉(こうきち)も京都文化大学長(文学部長)などを歴任したが、すっぱり定年前に辞めている。定年後は恩給がないので、古書を扱い、困窮した晩年を送った。
当時の日本は、軍備優先で財政難で、官立大学の教授たちは自主的に恩給を避けたのである。
この伝統を第二次世界大戦後に実践したのが東京大学文学部英文学の中野好夫教授である。この時はすでに嘲笑される行為になり、中野好夫氏の潔癖な行為も忘れさられてしまった。
もっとも、恩給を避けるほど昔の大学教授は、定年後にも仕事をする実力があった。現代の官僚が天下りを転がして稼ぐのは、その無能力を自覚し、道徳の低さを露呈している。
シルバー人材が大活躍した昔の村社会
2013年に高年齢者雇用安定法が改正される以前は、多くの企業では60歳定年制を導入していた。
この60歳定年制は、奇しくも日本の農民の停年(隠居)の年齢と一致する。
農村では、60歳になると「隠居組」に入った。いまの「寿会」や「老人会」とは異なり、隠居組の老人は公人である。村の祭りの執行役であり、村の大事の決定役でもあった。
なかには村民の誕生などを記録する役、村の出来事を記録し続ける書記役など、それぞれ大役が与えられ、これは死亡まで続いた。
その意味では、定年退職後に何をして過ごしたらよいのか、という現代人の悩みとは無縁だったわけだ。
もっとも、年金不安がいよいよ深刻となり、「下流老人」なる言葉が他人事でなく感じられる現代では、定年退職後に何をして過ごすかよりも、「何をして稼ぐか?」のほうが、より深刻な悩みではある。
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