散歩は「海馬」を刺激する
最近の大脳生理学や神経繊維心理学の研究は目覚ましいものがあり、次々と新しい発見が報告されている。なかでも劇的なものは全身の筋肉が脳に信号を送っていることである。
とくに脚には太い筋肉がついているが、筋肉の中には感覚器があって、その感覚器からの信号が脳を活性化する。筋肉は脳への刺激器官なのである。
なかでも足のつま先には、感覚器が集中しているので、歩くと大脳辺縁系の「海馬」(両耳の奥にある左右8センチ程の一対)という短期記憶中枢を刺激、活性化する。
海馬の隣には「扁桃核」という情報の「好き/嫌い」を判断する部分があり、これが海馬と連携している。海馬の短期記憶は、扁桃核が「好き/嫌い」を判断して、必要な情報だけを大脳新皮質の側頭葉に送り込み、記憶として定着させる。
この扁桃核も歩くと活性化して、ドーパミンという活動的で楽しくなる化学物質を脳内に放出する。歩きながらの記憶が思い出しやすいのは、この海馬と扁桃核が活性化し、ドーパミンの作用もあって、楽しい気分とともに鮮明に記憶されることによる。
この足の筋肉からの信号で、脳のうしろ半分も活性化するので、記憶力・発想力・想像力が 10% も増大する。前述した大脳前頭葉の活性化による 13% と合わせると、散歩することによって 23% も脳の能力が上がるのである。
ソクラテスもプラトンも、歩きながら考えた
ちなみに顎の筋肉も感覚器を持っていて脳に信号を送り、脳を活性化する。
良く噛むと唾液が出るが、この中にはコレストキニンという化学物質が含まれている。今まで腸の運動に関係すると考えられていた化学物質だが、これも体内を循環して記憶中枢の「海馬」を活性化することが明らかになった。
じっくり良く噛んだ食事のときほど、そのときの情景や話を記憶しているはずである。
このあたりのメカニズムを古代西洋人は本能的に知っていたのだろうか。
ソクラテスにはじまるギリシャ哲学は、歩きながら問答をし、プラトンにいたっては、オリーブの樹の下を歩きながら、オリーブばかりかじりながら講義したという。コレストキニンの記憶能力の増大を知っていたかのようである。
そのプラトンの弟子のアリストテレスの時代になると、回廊を歩きながら講義できることが選ばれた哲学者のステータスとなった。
西洋文明の基盤にある古代ギリシャ哲学は、歩きながら生まれたのである。
今日、ディベートと呼ばれる議論も、歩きながらなら感情的にはならない。足の筋肉の感覚器からの大量の信号で、快感中枢である扁桃核と短期記憶の海馬が刺激されて、楽しい気分の中で、次々と新しい記憶が選択されては更新されて、大脳新皮質に定着する。
恐らく日本をはじめ東洋の文化は座って考える文化なので、ディベートというのが感情的な議論となってしまうにちがいない。試しに散歩をしながらディベートしてみると、日本人でも楽しい気分の中で、創造的な議論ができるかもしれない。