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風景を読む“知的”散歩術のススメ 第5回

全国に残る「山城」の痕跡

[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

ありふれた周囲の光景が実は中世の山城の跡だったりする。平地では郵便局の分布などからも村の規模というものが類推できる。散歩中に、どれだけの数のかつての村を通過することか。

中世の山城は全国で調査されて、おおよそ県ごとに400から500もあったことが判明している。静岡県など平均すると約4km四方に1つあった。「ネコヤ(寝小屋・根小屋)」「堀之内」「越(こし)」「タテ(館)」「キ(木=城)」などの地名があれば、その背後の山(丘)には山城があったと見て間違いない。山として残っている場所は、山城としてわかりやすいが、問題は団地や住宅地になってしまった場所である。

  • 竹田城
  • 備中松山城
  • 雪と城

―― 中世の山城は全国で調査されて、おおよそ県ごとに 400 から 500 もあったことが判明している。静岡県など平均すると約4キロ四方に1つあった。「ネコヤ(寝小屋・根小屋)」「堀之内」「越(こし)」「タテ(館)」「キ(木=城)」などの地名があれば、その背後の山(丘)には山城があったと見て間違いない。

 山として残っている場所は、山城としてわかりやすいが、問題は団地や住宅地になってしまった場所である。

 山城の条件は、まず山が要害堅固であるため、山裾には堀になる川が取り巻いている。籠城ができるように水源となる池がある。中腹にいくつもの平場を持ち、そこに城主の館や家臣の館、倉庫などが配置されていた。

 団地の造成工事は山を崩し、平場(廓=くるわ)の面影もとどめない場合も多い。それでも痕跡は残り、住宅地が何段かに分かれて、その根元を川が地形に沿って曲流していれば、山城があった可能性が高い。さらに川に囲まれた台地に寺院が残り(武家館を含めて、北西の方向に一族の霊の寺院、東北(鬼門)に鎮守の寺院を配する)、八幡社や御霊社などがあれば有力だ。

 あなたの駅までの通勤の道は、もしかすると山城の跡かもしれない。

▼連載「風景を読む“知的”散歩術のススメ」
著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター) 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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