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風景を読む“知的”散歩術のススメ 第4回

古い寺院の「蘇鉄」は南蛮文化の名残か

[ 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター)]

古寺社や古跡の樹木も無意味に植えられているわけではない。それぞれ樹木には、漢文化由来の意味がある。樹木がしめす意味や象徴を考えて風景を見直すと、また新しい発見があるにちがいない。

今や蘇鉄はありふれた庭木だが、そもそもキリスト教伝来とともに日本に渡来したもので、インドやフィリピン原産の植物である。蘇鉄の日本で最初の記録は、天正5年(1577)、宣教師が京都に建てた教会の絵で、教会の庭に蘇鉄が描かれている。織田信長の時代である。史料上の二番目の記録は、豊臣秀吉の聚落第を描いた『聚落第図屏風状』で、次いで元和2年(1616)醍醐三宝院の庭に蘇鉄が2本植えられた、とある。

  • 蘇鉄
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―― 今や蘇鉄はありふれた庭木だが、そもそもキリスト教伝来とともに日本に渡来したもので、インドやフィリピン原産の植物である。

 蘇鉄の日本で最初の記録は、天正5年(1577)、宣教師が京都に建てた教会の絵で、教会の庭に蘇鉄が描かれている。織田信長の時代である。史料上の二番目の記録は、豊臣秀吉の聚落第を描いた『聚落第図屏風状』で、次いで元和2年(1616)醍醐三宝院の庭に蘇鉄が2本植えられた、とある。

 これらの蘇鉄は、宣教師がインドのゴアやフィリピンなどから大名や天皇へ献上したものといわれる。

 豊臣政権の中期まで全国に200か所を超える教会が作られて、それぞれにセミナリオ(神学校)やコレジオ(大学)が付属していた。したがって蘇鉄もまた各地に移植されていたに違いない。

 前記の教会堂は全て破却されたが、聚落第の遺構と伝えられるものは残り、醍醐三宝院も残っている。それらの建物の間取りは、西洋ルネサンスの遠近法が用いられている。

 古い寺院の蘇鉄などはキリシタンと南蛮文化の時代を今に伝えるものかもしれない。

▼連載「風景を読む“知的”散歩術のススメ」
著者 : 古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>(フリーライター) 1949年、神奈川県に生まれる。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻。放送作家を経て、『やじうま大百科』(角川文庫)で雑学家に。「万年書生」と称し、東西の歴史や民俗学をはじめとする人文科学から科学技術史まで、幅広い好奇心を持ちながら「人間とは何か」を追求。著書に『「散歩学」のすすめ』(中公新書クラレ)、『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。
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